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見栄張りやめたら超らくちん:高齢化と見栄張り

はじめに:

仏壇や位牌の処分(供養じまい)をご依頼されたお客様宅へ伺うと、その多くの家で立派で高価そうなお仏壇があります。数十万から数百万、中には一千万円を超えるようなものもあります。

私の父が亡くなった時も、私の母は「お父さんのために立派な仏壇を買う」と言って一緒に仏壇店へ見に行ったのを覚えています。また、葬儀も世間体があるからと言って300~400万円程度かけて行いました。この時、世間体というのはつまるところ残された遺族の「見栄張り」の一種なんだなと思いました。

今回は「高齢化と見栄張り」について勝手気ままに書いてみました。

1、見栄張りの対象

若いころは「いいカッコしたい、異性にもてたい、あこがれの存在になりたい、優越感に浸りたい、周りからよく思われたい」と誰しも見栄を張るものです。ただ、年齢を重ねるとこうした傾向は大きく2つに分かれるようです。

1、ますます見栄張りが顕著になる人たち
2、ほとんど見栄を張らなくなる人たち

私自身はあることがきっかけで、この2番目の見栄を張らないようになったことで、ずいぶんと人生が楽になりました。人が見栄を張るあるいは、カッコをつける対象には主に次のようなものがあると私なりに思います。

見栄を張る【モノ】:
・車
・腕時計
・家、家具、調度品
・バッグなどブランド品
・宝石、貴金属
・服装、髪型
見栄を張る【ココロ(態度)】:
・自分を大きく見せる
・ほらを吹く、嘘をつく、自慢する
・自分の話しかしない(人の話を聞かない)
・他人の悪口を言う、他人を批判、批評する
・社会や環境に対して不平不満・文句を言う
・声がでかい、態度が横柄、人を見下す
・権力者と親しいことを示す

ここでいうモノとは「目に見える形あるもの」で、人が見栄を張るあるいは、カッコつける対象として比較的わかりやすいですね。一方、ココロ(態度)は「形のないもの」なのでちょっと見栄を張る対象としてはなかなか自分では気づきにくいです。

また、モノはお金がないと見栄が張れませんが、ココロ(態度)はお金がなくてもできることが多いです。また、お金がたくさんあっても精神が貧しければ、ココロの見栄張り・カッコつけをする人は意外と多いです。

2、なぜ見栄を張るのか?

見栄は張るのは人間の本能だと私は思っています。男も女も異性の気を引き、子孫の保存・繁栄競争に勝たなくてはなりません。そのため、できるだけ他人より目立たったり、優位に立ったりしなくてはいけないからです。

また、生存競争にも勝たなくてはならないため、他人より自分をより強く見せて食料争奪戦を有利にする必要があります。そのため、あらゆる手段を使って見栄を張りカッコをつけなくてはいけません。男はより強い自分を見せつけ、女はより美しい自分を演出するのです。

現代では、その一番シンプルな方法が「モノ」で自分を飾り見栄を張ることです。お金があれば誰でもできます。「私お金持っていますよ!」とシンプルに強さを誇示することができます。そのため、単純にお金を稼ぐことがエラいことだと、現代の世の中では成功や強さのバロメーターとして認知されています。

ただ、お金はなくても「ココロ(態度)」で見栄を張り強い自分を誇示することも可能です。嘘を言ったりほらを吹いたり、「ワシ、○○(権力者や社長)と知り合いやねん」と聞いてもいないのに何気に自慢したり、などはわかりやすいですね。声や態度がでかいのは、もっとも単純明快な見栄張りです。本当の実力者・本当のお金持ちはすごく謙虚な態度をとるのが現実です。なぜなら、そういった人たちは見栄を張る必要がないからです。

一方、他人の悪口を言う、他人を批判、批評する、社会や環境に対して不平不満・文句を言う、などは、お金のない人たちに多い見栄張りの一種です。他人や社会を自分より見下すつまり、下位の位置に置くことにより、相対的に自分が上位の位置にいることを示す見栄の張り方です。社会や他人を批判・批評するとなんだか自分が偉くなった気がしますよね。

また、人の話を聞かず自分の話ばかりする人は、他人から指摘をされ自分の弱さを暴かれ、自分が下であることを悟られたくない一種の防衛策としての見栄張りです。高齢化にともない、人はこういった見栄張りがより顕著になる場合と、緩くなる場合に分かれるようです。主に、周りの環境や人間関係・家族関係・経済的環境に左右されることが多いです。

3、見栄張りをやめると人生好転

ところで、こうした見栄張りの理由や原因がわかると、見栄張りをやめることもできやすくなります。特に、自分がどのタイプの見栄張りなのかを知ると、対処法もシンプルです。

「モノ」で見栄を張る人タイプなら、前回のコラムでも書きましたが、「頑張って手に入れたその高価なモノには馬鹿の看板がかかっている」と思えば、あほらしくてすぐにやめることができます。

前回のコラム↓
高齢化と車のダウンサイジング:https://reset-soul.com/useful/car-downsizing

また、「ココロ(態度)」で見栄を張るタイプの人は、そのこと自体に気が付いていませんので、「モノ」よりもやめるのが難しいかもしれません。誰もほとんど指摘してくれませんし、自分ではわからないからです。

ただ、こうしたタイプの人は周りから人がどんどん離れていくので、その時になって初めて気が付くことが多いようです。それでも気が付いた時がスタートです。いくつになっても遅すぎるということはありませんから。

私もこうした事実に気が付いてから、見栄を張るのがアホらしくなりました。先ほど列挙した見栄張りの対象の内、以前の私もいくつか当てはまっていました。「モノ」はお金がないとできないので私はあまり当てはまりませんが、「ココロ(態度)」の見栄張りはけっこう知らずにやっていることがありました。反省、反省(汗)

でも見栄張りやめたらすごく楽に自由になりました。何かモノを買ったり何か行動を起こしたりするときに、いちいち他人からどう思われるかや人の目を気にすることがなくなると、本来の自分がやりたかった事・好きなことが見えてきます。

4、まとめ

最初の話に戻ります。仏壇や位牌の処分(供養じまい)をご依頼されたお客様の多くがよく言われる言葉があります。

「ほっとした」
「肩の荷が下りた」
「安心した」

などです。もちろん今まで気になっていたことが片付いたという安堵感が一番でしょう。ただ、その本音には、「もうこれからは煩わしいこと(仏事)や他人の目を気にすること(檀家関係・親戚関係)をしなくてもいい」ということもあるのかなと感じます。見栄張りをする必要もなくなるということと同じ感覚だと思います。

さて、私が見栄張りを卒業したきっかけは、「人生の結論(小池一夫著)」という本を読んだことです。この本を読んで、「もうこれからは煩わしいことや他人の目を気にすることをしなくてもいい」という心境になりました。その結果、心が楽になると同時にいろいろと人生も好転し始めました。一度、見栄張りストップにトライしてみるのもなかなか面白いと思います。

人生の結論 (朝日新書) 小池一夫著↓
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